皆さんこんにちは、J太郎です。
皆さん、ふと若い頃の自分を思い出して
「うわあああああああ!!」
となる瞬間、ありませんか?
私は沢山あります。というか、思い出しただけで胃が痛くなるレベルの黒歴史がゴロゴロしています。特に大学生の頃の自分を振り返ると、恥ずかしさで床を転げ回りたくなります。
・やたら格好つけていた
・中二病をこじらせていた
・人に迷惑をかけまくった
・妙に自己陶酔していた
「全部ひっくるめて当時の自分」なのはわかっているんですが、それでも胸の奥から湧き上がる“羞恥の波”に飲み込まれて「あーーー!」と声が出てしまう。
この正体不明の感情、いったい何なんでしょうか?
■なぜ人は過去の自分を思い出して悶えるのか?
自分なりに理由を考えてみたところ、3つの答えが見えてきました。
① 大人になったから
これはもう確実です。
昔の自分の思考は、今から見れば完全に“子ども”。
「大人には俺の気持ちなんてわからねぇ!」
と、真顔で思っていたあの頃……いま思えば、遠い目になります。
② 価値観が変わったから
若い時って、なぜか自分の考えが絶対的に正しいような気がするんですよね。
「俺こそが正しい」
「周りは何もわかっていない」
本気でそう思っていました。
今の自分が読むと赤面不可避のモノローグです。
③ 世界が広がったから
若い頃の世界は狭いんですよね。
似た者同士で集まり、同じ価値観の中にいる。
でも大人になると、
・年齢
・職業
・環境
が全く違う人たちと付き合うようになり、
「なるほど、そういう考え方もあるのか」
という“価値観の冒険”が始まります。
世界が広がると、自然と若い頃の自分とのギャップが生まれる。
それが“羞恥”という形で表れるんだと思うんです。
■若い頃の価値観は、ある意味“無菌室”
若いうちは、狭い世界で純粋培養された価値観を持ちがちです。
だからこそ、
「誰も俺のことを理解してくれない」
「人は結局わかり合えない」
なんて極端な思想にもなりやすい。
今考えると「いや、そんなこともないよ?」と冷静にツッコめますが、当時は真剣そのものでした。
この“真剣さ”こそ若さゆえの愛おしさでもあります。
■黒歴史は恥ずかしい。でも、その分だけ成長している。
正直、若い頃の行動を思い出すと羞恥心で身悶えします。
でも同時に、どこか愛しくもあります。
背伸びして、もがいて、世間と自分のギャップに悩みながら必死に生きていたんですよね。
だから、恥ずかしいからといって過去の自分を否定する必要なんて全くありません。
「あーーー!!!」と悶えるのは、成長した証拠なんです。
■私の黒歴史ベストワン(たぶん)
いまだに思い出すたび胃がキリッと痛むのがコレ。
一人暮らしの部屋で、大音量で音楽を流していたら、
隣の住人に壁をドンドンドンドン!!と叩かれた事件。
いやほんと、申し訳ございませんでした……。
この場を借りて、心の底から謝罪します。
大人になって振り返ると「なんて迷惑なことを!」と思うんですが、若い頃ってそういう“痛い経験”をしながら社会を学んでいくものなんですよね。
■若者のマナー違反に寛容でいたい理由
思うんですが、若い人が少しマナーを欠いていたとしても、あまり強く怒らないであげてほしいです。
なぜなら――
みんな同じ道を通ってきているから。
そしてほぼ確実に、
「なんであんなことしたんだ俺……」
と未来で悶える日が来ます。
私がそうだったように。
■黒歴史と付き合うための3つのコツ
ここで、“過去の自分”と少しラクに付き合うためのハウツーをまとめます。
① 黒歴史は「成長のログ」だと思う
恥ずかしさ = 成長の証拠。
そう思えば、少し柔らかい気持ちで過去を見られます。
② 当時の自分を“真剣だった存在”として認める
迷惑かけたことは謝るべきだけど、
一生懸命だった気持ちまで否定する必要はない。
③ 今の自分の価値観も“いずれ変わる”と知る
年齢を重ねれば、今の自分でさえ将来「あーーー!」になります。
だからこそ、今を大事に生きればいい。
■これからも私は「あーーー!」と言い続けるでしょう
私はこれからも、ふとした瞬間に過去の自分を思い出して悶え続けると思います。
でも、それでいいんですよね。
黒歴史は“人生のスパイス”。
恥ずかしさは“成長の証”。
悶えるのは“今の自分がアップデートされている証拠”。
皆さんもぜひ、自分の黒歴史とちょっとだけ仲良くしてみてください。
「あーーー!!!」と叫びながら、今日も一緒に成長していきましょう。
以下は昔のことについて書いたブログです